剣のまほろば3白秋

痩型で長身、眼光鋭く一目で異様な佇まいの男がいた、幽鬼、魔剣、鬼の剣、音無の構え、どれも高柳又四郎を現す二つ名であった。

音無の構えとは、彼の剣そのものである相手が出れば引き、引けば出るその間合いを1ミリでも破れるばたちまち激烈な打突が飛んでくるため竹刀でもって防ぐ暇など無かったため音がしなかったのである。

 先日も他流経験者の門弟を壁際まで追い込んで声も出す暇もあたえず失神させていた。

また口癖で「おいたわしや」といってから打つのも風貌と相まって正に魔剣の呼び名がふさわしくもなっていた。

 そんな荒い稽古を続けるため人気は無くひたすら剣の道に邁進しているかのようであったし、また本当に自分の為にしか剣を振るわなかったため弟子も育たなかった。

しかし、白井だけは時々話をしていた、恐らく高柳は他の稽古相手が弱すぎるので多少強くなってくれ、位は思っていたのかもしれない。

 

「最近の剣術家は馬鹿ばっかりだな、初学のくせに型の完成をまたずして竹刀稽古だ連続技だと傍らいたし、かといって寺田さんもよくわからん、型ばかりだし、あげく禅寺の伝書を引っ張り出して坊主にでもなるおつもりか?」

白井も型の完成を待たず竹刀稽古にはしるのは反対であった、寺田さんの腕には疑っていなかったのだが反論すると高柳の機嫌が悪くなり明日の稽古が地獄と化すので言うのをやめた。

「浅利又七郎はあやしいな、相当使うくせにいつも参りましたばかり言っている、明日あたり立ち会ってみるか。」

この浅利又七郎という男は高柳と同じく間合いの見切りには定評がある、ただし高柳と違い間合いがやぶれた瞬間「参りました」と言うのである実際うたないので見る人が見れば「勝ちました」と言っているようなものと映る場合も多々ある、また教えて方も懇切丁寧なので人気

もあった、手を出さないので不出剣、菩薩の剣とも噂されていた、密かに白井はわくわくしていた、魔剣高柳又四郎と菩薩剣浅利又七郎、両者の実力は伯仲、中西道場の龍虎であるのは間違いあるまい。

「まあ、見ておれ儂の工夫を見せてやる、どちらの工夫が上か明日ハッキリさせようぞ。」

 

翌日稽古の最後に二人は一本勝負の地稽古をすることになった。

審判は寺田宗有、門弟が見守る中勝負が始まるも三十分余り動かない‥瞬き一つ許されぬような緊張感の中ユラッと高柳の身体が揺れたように見えた刹那「参った!」と浅利又七郎が叫んだ。

一気に緊張のとけた中西道場では浅利又七郎をねぎらう後輩達で輪が出来ていた。

白井は少しガッカリしていた「いつも通りだったな」面を外した高柳を見ると少し口元が歪んだのが見えた「もしかして笑っていた?」普段

の感情は不機嫌と怒りのみの高柳にとって満面の笑みだったのかもしれない。

「おい小僧見えたか?」突然こう問われ「いつも通りでしたね」と答えたところ不機嫌そうに「馬鹿め」とだけ言われた。

「いつも通り間合いが破れた瞬間参ったでしょう?」

「フゥッ…破れたのか?」と高柳があきれて呟いたのを聞いた白井は「あっ!」と思わず声をあげてしまった「間合いは、破れていない、今回は前と違い1ミリも動いていないのに!?」

「やっと気が付いたかあれが儂の工夫よ、五輪書にも記されているがな、出方には三つある、一つは気と身体の同時に出る、二つは気を残して身体だけ出る、三つは気だけ出して身体は残す」

「では浅利先輩が一歩も動いていないのに参ったと言ってたのは…」

「そう、儂が気だけで出たのにもかかわらず反応して思わず口をついたのよ、並の剣士なら出た瞬間串刺しだ。」

心身一如この言葉にある通り剣技にも同じことが言える、気と剣は一如である、高柳の使った技は言わば心法と実技の中間の様な技である。

「なるほど、身体は限界があるが、気は無限だなあ」(ん!まてよ、とすれば寺田さんの練丹の行は気を練るために必要なんじゃないですか?)と心で思ったが言うのはやめた、明日の稽古が地獄と化すからだ。

どちらも間合いの達人、明暗を分けたのは気の差である、白井も自身の剣に実体の技だけで無く更なる工夫を加えようとしていた。

意識、気の工夫である。

 

[この高柳の工夫は瞑想である。

 瞑想に決まりは無く剣でも音楽でもよい、遣り方にとらわれぬことである岡林将玄談]