剣のまほろば2朱夏

 背丈は無いががっしりとした体躯に浅黒く日焼けした顔には精気が漲り眼光の鋭さは只者では無くまるで獅子の如き風貌を醸し出していた、名は寺田宗有、一刀流中西道場に入門するも竹刀稽古は真の稽古にあらずと平常無敵流の門をたたき免許を授かる。

 ちなみに平常無敵流とは兵法にあらず平法を名乗っていた、流名にある無敵とは「最強」という意味ではなく、天下に自分を害する者がいない(平常から敵が無い)状態を理想としたことによる。

つまり、平常無敵流の「平常」とは平和を将来するために剣を用いる趣旨であり、「無敵」とは絶対の我を認得すれば、相対的な敵は存在しないという見地を示すものとされる。したがって、試合などで無益な殺生をすることは厳重に戒められた。また、平常無敵流は、一切の形を教習せず、「心法」の会得によって万事に対応することを極意とするものであり、合気武道の和合、対すれば合和すの精神と同じものである。

 寺田は膂力においても並ぶもの無く子供の頃から大人と相撲をとっても引けをとらず、また正義感溢れ、弱いものいじめを見ると口より先にたたきのめすといった気性を持っていた。

箱根山中で山賊に襲われた時など逆に散り散りになるまで追いかけたおし散々脅しつけたもので、山賊共に箱根の大天狗などと噂されたりした。

 

「おい、待ちな!お侍さんよう、そこの金目の荷物全部置いて行きなよう。」ちょうど箱根山中の道中程にふざけた言葉使いでヘラヘラと現れたのは細身の狐目の男であった。

寺田は藩主の命令により金銭を運搬中(早い話が用心棒兼運び人である)危険な道中だが藩主の信頼厚くいつも一人で役目をかってでるのが寺田の常であった。

 (あの男の佇まい‥うむ、品が無いのう、狐以下であるか)などともはや剣の技量を測ることすらしなかった。

 剣の使い手から見ると即座に腰を抜かすほどの寺田の立ち姿も山賊共の目から見るといかつい兄ちゃんくらいのものなのかもしれない。

あまりの落ち着き振りに腹を立てた狐目の男が合図するや否や二十人ばかりが周りを取り囲む。

(割と‥大所帯だな普段は猟師でもしてるのか?火薬のにおいから火縄銃も2、3あるようだ)

「おう、お前らまずは手を出すなよ!俺がやっとうの極意を見せてやる」

(天下の一刀流中西道場の師範に極意を披露か、もはや堪忍袋ではなく笑い袋がはち切れそうになるのを寺田は必死で堪えていた)

狐の頭領の講釈はなお続いた「いいか?刀をまずバチーンと横から張るのさ!それで弾けりゃ弱いやつよ、吸収するようにふわりと止められたら‥」「止められたらあ?」子分の一人が相槌をうちながら聞く「一目散に逃げるのよ〜そいつは達人だ〜」一斉に大爆笑が起こる、要は一人なら逃げるが二十人もいれば一斉にかかって袋叩きというわけだ。

「あっはっは、いや良い知恵じゃ、当流の浮木という技がの、まさにそれよ!お主知恵者よの初心の手の内の硬いことよ」なんと一緒に大爆笑しているのは囲まれている寺田であった。

激昂した狐の大将(もはや頭領でもなんでも良くなっていた)下段から小手に行くフリをすると寺田に軽く切り落とされ、そのまま寺田はゆっくり突きに出た、おっと来たななどと軽口を叩いているのも狐の浅知恵、都合三回巻き抑えにいくも先刻言ったばかりの達人の剣ヒョコヒョコとまるで水面の浮きの如くすぐさま浮かびあがり水月を貫かんと迫ってきた。

「ちっ!頭かち割ってやるー」と業を煮やし上段に構えると左小手をバシーっと切られた。

「なに?竹光だと?」切られたはずの狐の大将の小手は赤く腫れあがっただけであった。

「どうした?逃げるのではなかったのかね?」あまりの寺田の早さに逃げる事もできずまた数の多さにかまけて隙を見せすぎていたようだ。

そこから払捨刀という多人数相手の剣をすれ違いざま袈裟に脇から胴逆袈裟に脇から胴と駆け抜けるとすでに半分近くがうずくまる事態になった。「火縄銃もな、居つかないで動くと一切当たらない、それに対角線に相手が来る様にすると同士討ちで撃てぬだろう?だいたいお主ら火縄の方向を気にしすぎて次に誰が撃つか見るからまるわかりじゃ」話ながら笑みを浮かべて竹光で切りまくる寺田の早業にもはやカツアゲどころでは無い「さては、箱根の山におわしまする天中坊大天狗様でしたかあ!!!」などと意味不明の言葉を叫びさながら箱根山中は阿鼻叫喚の地獄の様相「何卒命ばかりはお助けを」などというものであるから「半刻ばかり眼をつぶっておれさもなくば全員眼をば潰して参るぞ」と言ったところ全員言いつけを守り日も暮れた頃恐る恐る眼を開けたものが、一言、「天狗様が現れた」と呟いた。

 後の箱根の大天狗の正体である。

またある時旅の途中に草鞋をむすびなおしているときカタッと音がして刀が抜け落ちた。

「おいあのお侍竹光だぞ〜」駕籠かきたちが囃し立てる「貧乏で売ったんですかねお侍様〜」

流石に町人ごときに笑われたところでなんとも思わない器量はあるが、あまりにやかましいので苦笑いしつつ立ち上がり、こう言った。

「それがし若い時は短気ゆえについつい首を撥ねてしまう癖があってな、旅中に真剣は持たぬことに決めたのじゃ、だからと言ってこの竹光、正宗の名刀に劣るとは無いと心得よ」

やおら傍らの石に袈裟に斬りつけると真っ二つに切れたので全員静まりかえってしまった話もある。

この様に、自身の肉体を自在にあやつり絶対不敗の境地にあるのは実は練丹の術があってこそである、毎日厳しい修行を重ね、淡々と極意の道を歩み髷のなかにも白い物が混じり始めたある日懐かしい顔が寺田を訪ねて来た。

「寺田師範、お久しぶりでございます」

寺田五郎右衛門宗有六十歳の時三十歳を目前にした白井享義謙その人であった。

 

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剣のまほろば1青春編

 江戸後期、日本の剣術事情は大きく変わろうとしていた、型剣術から竹刀剣術への移行期の頃日本有数の名門一刀流中西派も例外では無い。

 竹刀稽古に批判の声もあるにはあった「名人達人が出なくなった」そんな古老の嘆きとはうらはらに上達の早さにおいて、また命を賭けずに勝負できるものとして無くてはならない稽古となっていたのも事実であった。

 当時の道場内で一刀流中西道場の三羽烏と呼ばれる三人の使い手がいた。

 すなわち音無の構え高柳又四郎、平常無敵流の心法である谷神伝免許皆伝、天真一刀流寺田宗有、そしてその弟子で勝海舟に神通力とまでいわしめた天真白井流白井享であった。

 

「おいたわしや…お面頂戴」バキンッ!!「うっ参った!高柳さん、ありがとうございまし…」ドンっ。

なにがなんだかわからぬうちに高柳又四郎から面と突きを叩き込まれた門弟が突きの威力に咳込んで下がっていった、彼の口癖は打つ際に、「おいたわしや…」と言ってから猛烈な突き、面をくりだすのである。

白井は思った(流石は高柳先輩!今日の最後は先輩との地稽古で〆よう、面金にかすることは無くても竹刀にかすらせん!)なにしろ高柳又四郎は相手が出れば引き、引けば出る、寸分違わず方眼紙の様な正確さで間合いを制し、1ミリでも破れると神速で剣を飛ばす達人であった。

 この頃白井享15歳にして以前の在籍していた機迅流では敵無しであったが江戸にきてから化け物だらけの道場で打たれまくる毎日であった、しかしながら持ちまえの負けん気で三十人と二回づつの稽古を日課としていたのである。

 当然最後にしておかないと、高柳又四郎と立ち会えば後輩だろうとなんだろうと容赦ない剣が突き刺さる。

 面目を気にする先輩は立ち合わないし後輩も必殺の突きにびびっておよび腰、結果一人で稽古しているかのごときの高柳又四郎に毎回挑むのは白井くらいのものであった。

 高柳又四郎は微動だにせぬ正眼、白井は陰刀に構え静かに歩み寄り左足をすべらせ面を狙う「入った!」と思った瞬間「カツッ」とこする様な音が聞こえたと同時に喉に剣先が突き刺ささった、なんと己の剣は弾かれ、かわりに浅くはあるが高柳又四郎の突きが入る「なんの、まだまだ」浅い剣をかち上げ面を割らんがため上段に振りかぶるその時、渇いたこえで「おいたわしや」と地獄から響く様な声で振り上げた左の小手をしたたか打たれた。[切落]

 「折れたか?!」と目をやる程の痛みに思わずうずくまる白井に無情にも下段からなお

その剣先を喉に突きつける高柳の仁王立ちになる姿があった。

「おい、小僧!切落の音は乾いておろう?儂の剣を鳴らしたと思うなよ?あれは数に入れるな!」

(わかってますって…)

「後な三角矩は知っておるか?」

 「両肩と剣先の三角矩ですか?守りの基本ですよね?」

「ああ、しかし儂の工夫は違う眉間と剣先と丹田の三角矩だこれを作ると攻撃力が段違いだ、お前と佐吉郎の二人だけ特別に教えてやるから稽古相手になれるよう精進せい」

[佐吉郎というのは年下の高野佐吉郎である、後の免許皆伝で高野佐三郎の祖父にあたる]

 

「享君よくやるよね」後の千葉周作の師匠となる浅利又七郎が声をかける。

「いえ、勉強になります、しかし最後にしなければ竹刀も握れませんからね。」

 この浅利又七郎という男は大変面倒見も良く

白井にも丁寧に稽古をつけてくれていた。

 浅利又七郎の剣は高柳又四郎と違い温厚そのものであった。

間合いに入られるとみずから「参りました」と言うので高柳又四郎との力の差は実際のところはよく分からないというのが門弟達の間での噂であった。 

「あの切り落とされたあとな、突きをかわしたまでは良かったぞ、あそこから地生の一手しかねえな」

 そう浅利又七郎に言われ、彼との稽古を思い出した。[振り上げた内小手を切れるのは浅利しかおらぬとまで言わしめた秘剣の持主で北辰一刀流千葉周作の師匠になる男である]

 その稽古の内容はというと、白井が陰に構えて右足より踏み込み面を打とうと振りかぶる刹那ピタリと右の内小手に剣をつけられたのを思い出した、思わず右足を引いて陽の構えをとったが時すでに遅く相手も同様に陽の構えで残心をとられていたのである。

 真剣ならざっくりと橈骨動脈まで刃がとどいてであろう。

「浅利さんの剣、釣竿をヒュンと振るみたいに速いですね」

「ああ、あれね享君みたいに膂力があれば逆に届かぬ速さだろ?なに簡単だ、しゃがんだ拍子に剣がフワリと宙に浮いてるだろ?そこをそっと小手に差し込むだけだ、剣先が上を向くように剣をスッと置くのがコツさ。」

(ああ、沈身をかけると残りに浮力がかかるあれか、年とったらやってみればよいかな)

「おいおい、力を過信するなよ?すぐ落ちるぞ、それにな、こんなもん初手も初手、いろはの い だぞ」

白井はなんだか分かったような分からぬような気持ちで、基礎稽古を繰り返しみようと思った。

 

そうして数年の間、病の日も稽古を欠かす事は一日もなく精進していたがある時師匠の中西子啓が47歳で死去してしまいそれを機に武者修行に出ることにした、白井享18歳の時である。

 

 この頃白井享の剣は天賦の才に加え人の3倍の稽古量とあいまってほぼ敵無しの腕前になっていたが幾人か天狗か妖かと思わずにはいられない強者も中にはいた。

 武者修行中の馬庭念流の樋口定輝と対戦した折そくいづけ、という奥義を喰らい面食らった(ピタリと刀に張り付いた樋口の剣は動く方向に張り付いたまま離れやしない)

白井享脇構えにて正眼の樋口定輝に対し、下方から樋口の右小手にスッと剣を入れる、樋口もすかさず裏を守って太刀を動かした、その刹那わずかに裏に僅か気をやった時にできた隙に乗じて相下段、正中線の取り合いの最中、双方相突きとなった、その後が凄い、飯粒一つ間に挟んだ圧を変えぬまま推しも引きも同じ形のままジリジリ刀身が頭上に迫る、(まずい離れぬ!?)咄嗟に壁際に押し込まんと数歩押し込んだところ壁際まで押し込まれては技が効かぬと樋口は竹刀を左に挫いたその時、白井享の剣は脇構えに戻されバランスを崩した瞬間一重の身にて真上から剣を振り下ろす、樋口にすれば白井の剣と半身が消え去ったようなもの、すぐに右上段に構えて迎撃しようとしたが白井享の剣は右小手を打ちさらに左足を送り首元を狙って残心をとった。

 「危なかった、実力的にはかなり、際どい、脇構之付けは対念流の必殺技であったか、これ無くしては勝ちは無かった…」

(それにしても一刀流組太刀は頼りになるなあ他流のメジャーな技ほとんど攻略している、これは武者修行には必携だ。)

この対戦を機に白井享は格上に対しても出るという選択を研究し始めた、ガムシャラに出るのでは無い、相手が出るその時を見計らうのである、その結果八寸延金という技が開発された、間合いの主導権を握る事でタイミングの主導権を握るという物理的な世界から心法の世界へ変える架け橋みたいな技である。

 

実際、隙もなにも考えず八寸正確に出ると敵の硬直が感じ取れるのであった、前足に続き足も揃えて動く。[これだけでも充分勝てるがさらに敵の心中に出る、おこり、を捉えてその刹那前に八寸出るのである、そうすると敵の心中まで硬直しその間に技はかけ放題百発百中である白鳳流秘中の秘八寸延金 岡林将玄談]

 

 さて、この八寸延金を携えて一刀流組太刀をふるうとついに、誰一人かなうものが居なくなった時、あれから八年、江戸の懐かしい中西道場に舞い戻り、いざ妖怪達と対峙せんとした「今ならあの化物じみた人達も勝てるだろう」

そう思い道場に顔を出すと化物どころか当時の俊英も膝や腰を痛めたり指導に回ったり形無しであった、頼みの浅利又七郎や高柳又四郎も出払っており(高柳は生家と関連の深い戸田流の強盗を引っ捕らえる旅中)千葉周作が幾らか、こましである程度であった。

しかしながら実は他人事で無く、白井は自身の動きにかげりを感じていた。

 

 

白鳳流の三角矩

剣術において 三角矩の教えがある。

山岡鉄舟、目、腹、剣先の三角 垂直攻撃の三角f:id:htatsuya:20200629015710j:image

高野佐三郎、両肩、剣先 水平防御の三角

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岡林将玄、物打ち、柄頭、対象物(一里先)

遠山の目付等 垂直心法の三角

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また、中国拳法には三尖相照、足先、鼻先、手先を揃えるという教えもある 力の三角

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各々効能があり、ひとつずつ稽古することであるが、徒手柔術には護身の意味で水平の三角からはいり、垂直の三角で一重の身を学び、その後心法の垂直の三角を修するのがよいと思います。

最終的にはその人の力量次第でどのような三角になるかわかりませんが実技と瞑想の深さで形は定まると思われます。