瞳術
一眼二足三丹四力、古来より眼の重要性は一番に来ていたのです。
眼の使い方五法。
①観の眼‥ 遠山の目付ともいう、遠く山を見るように真ん中に対象をいれて見る、情報処理が早く思考も加えないため早い反応が期待できる、合気二刀剣もこれになるよう使う。
②魔眼‥相手の眉間又は目に焦点をあてる、殺気を乗せたり観察したりする、経験でも身につくが数メートル離れ星印を黒で書いて見つめる、ブレてくるのをピントを合わせ続ける。
これが完成すると動きを止めたり、殺気を載せた目付が可能となる、古来から邪眼、魔眼と呼ばれる。
敵と一瞬睨みあった時、相手がもし目をそらせば隙ができる。
目勝の法‥睨みつけるのであるが、霊的なものにも効力がある、ただし、武術で鍛えていることが前提。
③帯目付脇目付‥敵の目付が鋭い時に胸や腹帯に目を付ける、遠山の目付より簡単に再現でき、相手の出鼻を観察できる、相手の力量や殺気が上と判断したらとりあえず使用。
④二つの目付‥拳と剣先に目付をする、先と同じく相手の出鼻を観察できる。
⑤誘導眼‥相手の眼と自分の眼の間で焦点を行き来さす、最終的に同調現象で相手の眼を揺れださせる、トランス誘導をして幻覚の世界に入ることにより催眠状態に持ち込む、言の葉と併用して行う。
果心居士や加藤段蔵、松山主水等が使用したと思われる。
簡単に行う方法として相手の片目を交互に見ていく方法もあるが空中の一点に焦点を合わせることで相手も同調してきた時、真似ができにくいため(訓練がないと実体のものに焦点が合う)目が泳ぐ事になる、さらに眼球運動が振動するまでになるとrem催眠と酷似した眼球運動になる、それにより現実世界から夢の世界に誘導される事になる。
加藤段蔵、呑牛の術は牛を丸呑みにして消した話しがある。
果心居士は明智光秀の前で屏風の中の舟に乗り込んだりもしたそうです。
水素の体感
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なんと言っても眠くなる、この感想が多いです。写真は毛細血管を顕微鏡で見たところです。
θ波が出るためです。治療後の影響は少ないですが、運転などはお控えください。
トイレが近くなる、尿量が増える、汗が多くなる。
これは、水素が活性酸素と結びつき、尿や汗として体外へ排出しようとするためです。
手足に違和感を感じる。
これは、水素が毛細血管までいきわたり、抗酸化活動でムズムズを感じることがあります。
まれに、倦怠感を感じられる方がいらっしゃいますが、長年蓄積された活性酸素が、徐々に排出される過程で一時的に感じる現象です。
浮木の極意
水中の瓢 現代風に言うと空のペットボトルを木刀で抑えても抑えてもクルリと刀をいなして浮あがってくる、そんな感覚です。
手の内が硬いと身体ごと崩されます、柳に風と水中の瓢の如くいなしては相手の中心に剣先をつけておきます。
しかし、ただ脱力をすると剣を落とします、当たり前ですね。
そこで、左手を主に脱力してみてください、後は体感です。
ちなみに、剣のまほろばで書いた寺田宗有のエピソードで箱根山中に出てきた山賊が言っていた「剣を張って、バチーンと来るようであれば素人、フワリと元の位置にくるならば心得ありなので逃げる!」と言っていたのは清水次郎長親分の剣術のコツだそうです、フワリときたら全力で刀放り出して逃げろとのことです。
そのおかげで剣術は素人同然の親分は生きながらえたとのことです。
剣のまほろば5白鳳
最終章 白鳳の章は読み方があります、何回読んでも構いませんが必ず一度は付録を使い寝る前に寝床の中で読んで下さい、そして自分の師匠の一番印象深い姿を思い浮かべて下さい、◆はご自分の師匠を当てはめて下さい。
夢殿とは夢のとある、場所。
ふと夢殿を見下ろすと三人の男が楽しそうに囲炉裏を囲んで話し込んでいる様子が見える内容はこんな感じだ。
直心影流免許の勝海舟は、40歳年長の白井に手ほどきを受けたことがあった。
◆「初めまして勝さん、白井享先生は強かったですか?」
勝「うむ白井先生の剣法は、大袈裟にいうなら、一種の神通力とでもいうのか、その白刃をひっさげて道場に立つや、凛然、神然、犯すことのできぬ神気というか、そういうものが刀尖よりほとばしり、本当に不可思議な感であったよ。おいらたちは、とてもその真正面には立てなかった」
白井「ははは、勝よ、それはな、お前さんが並のものより相当つかうからだよ、そこまで見えるということはな、我が心中の深奥より湧きでる赫機(ノビ)を一つ残らず感じているからさ。」
勝「では白井先生、一体どうすれば先生のようになれるのでしょうか?」
白井「そうさな、まずは六つの伝を心得よ、良いか?忘れる事三つ、体得する事三つだ。」
◆「書いてもよろしいですか?」
白井「書いてもよろしいけど、天真伝一刀流兵法という本を弟子に書かしてあるから買いなさい。」
◆「失礼致しました(ただほど怖い物はない)買わせていただきます。」
白井「うむ、まず忘れる事三つとは、敵の体、我の体、我の剣だ。」
◆「はい、瞑想の最高状態ですね。」
白井「うむ、効能を簡単に言うとだ剣の四戒が生まれるのはその三つのせいなのだ、勝よ四戒を言ってみな。」
勝「はい、一つ、掛け声や、体格に恐れを感じて心身が委縮する[恐]
二つ、相手の不意の行動に驚き、自分を失い適切な行動が出来ない[驚]
三つ相手の動作に何か疑わしものを感じ、自分自身の心にも疑いが生れ自滅をする[疑]
四つ、打つか?それとも受けるか?心が惑い定まらない[惑]です。」
白井「うむ、その通り、四戒は疑心暗鬼を生む、うまく使えば式神の術にもなるが…聞きたければまた来てくれ、次に覚える事三つ、真空、丹田、ノビ、だ。」
[疑心暗鬼とは疑いの心が闇に鬼をつくる、これ即ち心の鬼、式神である]
◆「未知の言葉です、丹田しかわかりかねます。」
白井「そうだな、真空といのは万物の気が満ちている空間の事、これにて敵をつつみこむのだ、丹田は天地より集めたる気を凝縮させる場所だ、ノビはその集めたる気を剣先より数キロ先までほとばしらせる、籠屋のつきだした天秤棒みたいなものだな、皆避けて通る。」
勝「これに当てられて目が眩んだのですね」
◆「私もこの働きを三角矩に入れています、丹田、剣先、一里先、の三角矩です。」
白井「ほう、その三角矩は一刀流にはないが奇しくも我が流儀のノビと同じ形をしているな、記しておけば良かったかな」
◆「はい、この三角矩を使うと遠山の目付にもなり十分な練丹がなき者でもそれなりの効果がでます。」
白井「実はな八寸延金はノビのことに置き換えたのだ、あまりの威力の奥義なりて悪用されても、困るからな」
勝「え?八寸は二十㎝のことではなかったのですか?」
白井「まあ、そのことでもあった、ノビを感得してから八寸の八は末広がりにて無限の延びを表すものであって数字ではないのだよ。」
◆「そうでしたか、では現代人にはわからないので八寸は二十㎝の歩法として、ノビは気として記しておきます。」
[現在八寸延金は、剣先より八寸伸ばす気、を意味することが多い、しかしそれではノビとそのノビの体得以前の八寸延金と違いが説明つかない、寺田には八寸延金は通用していないと言うこともあり二つは全く別次元の技である 著者]
白井「うむ、面白いのう、また日を改めて空が白むまで語りあかしたいものよ」
そんな不思議な武術談義を見ていると、皆がこちらに気がついたようです。
◆「おや〇〇さんお久しぶりですね、そんなところで見ていないで、こちらで話をしませんか?何か質問があればどうぞ‥時間も遅いので一つだけ」
あとがき
剣術のまほろばについて‥まほろば、花伝書、修行神髄、稽古神髄を参考にした極意をちりばめ、修行途中から奥伝にいたる三人を登場させました、まほろばとは、居心地の良い場所との意味もあります、三人は出たり入ったりしてもずっと中西道場にいりびたりのようです、三人のまほろばという意味も込めています、願わくば自身のいる道場もそんな場所にしたいものです。
ところでこれは小説のフリした極意書です、稽古に行き詰まった時気分転換にお読み下さい。
思えば剣道部に入ってから甲野善紀氏の本を読みその中でも特に白井享、寺田宗有に憧れを持ちました。
岡林先生が急逝されもっと習っておけばよかった、あれを聞いておきたかった‥との思いを叶えるべく最終章は夢の中での武術談義と致しました。
最後の行の質問の仕方です、どうぞ付録をお読みになりなんなりと質問下さいませ。
付録
最終章は誰でもご利用いただけるよう夢殿の入り方を記しておきます、播磨の国に伝わる播磨陰陽道の夢の極意です。
夢の世界は、とても複雑な世界です。この世界は、潜在意識が見せる世界や、その他 の様々な世界を含んでいます。しかし、この世界のことを......簡単に言うと、夢の世界 とは「霊界」のことです。他の夢も、様々あるので......霊界のことを「あの世」とか 「霊の世界」と呼んで区別しています。これは伝承に、
もともと この世ならぬ あの世のこと......例の世界を差し て 霊と呼ぶは 言い得て妙なり
......とあります。霊の世界としての夢の集まる場所を、夢殿の呼ぶこともあります。
そこには、訪問者としての「生きている人」と......住人としての「死んでしまっ た人々」がいます。通常は、この世界では......心が、思うままの映像を、見せるので ......意識はその場所を感じることがありません。また、他の種類の夢と区別しづらいの で......あえて指定して「夢殿」へ行くことが必要となります。それにより、他の人や、 夢の国の住人から様々な情報を引き出し、現実の世界で役立てることが出来るようにな ります。例えば、この事例として、本を読むことがあります。現実には、存在すら知ら ない本を......細部にわたって読んだ後......現実で、その本に出会うこともあります。あ るいは、自分で何か想像しようとした時......夢の中で完成した状態を見ることがありま す。夢の記憶に基づいて、「実際の完成品を発明した」と言う事例は......歴史の 出来事の中にも、多く見られます。
夢の集まる場所とアクセスの仕方について
古伝に曰く、
夢の集まりたる場所あり 夢殿と伝う
この「夢殿」と呼ばれる場所に、すべての夢が集まります。特に、夢殿を指定して入 るには、夢殿祭文と呼ぶものを使います。これは、同時に二種類を、使うものです。
ひとつは、祭文で、
とおかみのみたまや
夢殿の 開かせ給え 迎へ入れ給え
......を、心の内で唱え続けるものです。これは、意識がなくなるまで唱える必要が、 あります。
今ひとつは、イメージを、心の中で作ることです。つまり、目の前の暗闇が、チラチ ラと光りを放ち......そこに、あるがままに、心を目に集中し、見えたもの、聞こえたも のを、また、心でイメージします。この時の注意店点は、恐ろしいものが見えたからと 言って、恐れないことです。恐怖は、常に心を閉ざす鍵になるので......心を閉じないこ とが肝心です。これらは訓練の方法です。この方法で、少しは夢の中での自己意識を持 てるようになったら、時々、正確に指定した夢の世界へ行くことが出来るようになりま す。確実に行っていても、それとは、分からない場合が多いです。ですので、区別する 方法や、自在に意識のままに行動する方法についても、学ばなければならなりません。
鍛錬して慣れてくると、もっとピンポイント的な「夢の場所」に行く祭文を、使う こともあります。
それは、例えば、自分の過去や未来の夢や現実の中であったり......他人の夢や現実、 或は、何百年も前に生きていた人の心の中に入って、必要な情報を得る為に使います。
ただし、聞くことの出来るのは、一度にひとつだけです。また「答えが理解出来 ない場合」と言うものもあります。
それは、例えば、古語で答えたりした場合のことです。そのような場合が多いので... ...よくよく古い言葉に精通しているか、もしくは、すぐに調べられる環境を、整えてい なければならならないのです。(尾畑雁多夢の講座より抜粋)
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剣のまほろば4玄冬
「おお、久しぶりだのう、噂はきいておるぞ白井、武者修行では無敗だったそうだのう」
そう和かに笑っていたのはすでに、中西道場の筆頭を譲り渡した寺田宗有であった。
「実はお願いがあって来ました。」
「ああ、早速立ち会おうかのう。」
(白井は驚いた、なにも話していないのに自分の悩みを見透かされていたからだ)
10代のとき何度か寺田の試合は見た事があった、いつも仕掛けたほうが微塵も動けず大量の汗を噴き出し顔面蒼白で下がっているのを目撃していた、しかし打ちまくったり気絶させたり、そんなことは一度も無かった、同じ道場の高柳又四郎と違い、わかりにくい強さであったのだ。
あまりのわかりにくさに血気盛んな若者が「麒麟の老いたるは駑馬にも劣る」などとわざと
聞こえるような声で話していた、もちろん一刀流中西道場筆頭寺田宗有のことである。
「では稽古をつけてやろう、その方は竹刀と面をつけられよ、それがしはこれにてお相手いたす。」と白樫の木刀を手にした。
「一手お願いいたしまぁす。」丁寧だが、語気には嘲るような軽い口調が感じられた。
指名された若者は先の撃剣大会では六人抜きで優勝した腕自慢であり佐々木小次郎の遠縁に当たるとかで同じく長尺の竹刀を振り回していた。
新しい門弟から見ると初老の師範が防具無しで立ち会いをすることにびっくりして、止めるか止めまいかうろたえていた。
しかしいざ始まってみると、佐々木なにがしは数分で呼吸困難に陥っていた、なにせ自分が面を打とうと思った瞬間「面にくれば返しの胴を撃つ!」また小手に行こうと思えば切り落として突くぞ!」次々と技を当てられやることが無くなってしまった、まるで心の読める妖怪サトリである。
また後日談によれば「もう、神仏か鬼のたぐいなり、木刀から火炎の如き陽炎がでて迫りくるのであわてて打とうと思えば全ての技を見透かされご丁寧に返し技まで告げられるしまつでござる、手に負えぬどころかこの世のもので無し。」とまで恐られていた。
白井は思った「まさか、いまや武者修行無敗、門弟三百人、無敵の八寸延金を考案した自分まで手も足も出ないなどということはあるまい。」と。
だが、結果は佐々木なにがしと全く同じ結果であった。
あまりのことに即日入門し、天真一刀流の修行に入ることをきめた。
以下は具体的な修行法を記しておく。
まずは肩の砕き、整体の一種で僧帽筋を崩し身体の歪みを無くす方法であった。
意識が身体をつくるが、余りに固まった筋肉は意識することすら不可能になる、いっそ物理的に崩すほうがコツが掴みやすい、また歪んだ身体で鉛直落下等の操作は困難をきわめる、身体を整えるのも上達への道である。
さらに練丹の法、寺田も最も重要な鍛錬としてあげており自身も練り込んだ気が溢れ返り天地に届くようになり天真に気が貫通して大悟を得たという、やり方はいくつかあり、どれもこれも己の気を充満させ天地の気を取り込み溢れさせるというものであった。
上下に身体を揺さぶるように地球の中心に向かって軽く連続で跳ぶ。
身体を垂直にそして、地球の芯に向かって中心軸を鉛直に下ろすような四股を踏む。https://youtu.be/RausvH4Kh2U
己が肉体の構成物質を自在に変容させるためのコントロール法として軟酥の法を修める。
また精神は即肉体に影響するとして、食事や睡眠についても事細かな指導を受けていく事となる。
寺田の修行法は身体操作、精神修養、呼吸法、密教、神仙道、陰陽術にまで及び苛烈を極めたが実は白井は不必要な物は削ぎ落とし、必要なものをことごとく修得、ついには寺田をも凌ぐ剣術を体現しはじめたのである。
剣のまほろば3白秋
痩型で長身、眼光鋭く一目で異様な佇まいの男がいた、幽鬼、魔剣、鬼の剣、音無の構え、どれも高柳又四郎を現す二つ名であった。
音無の構えとは、彼の剣そのものである相手が出れば引き、引けば出るその間合いを1ミリでも破れるばたちまち激烈な打突が飛んでくるため竹刀でもって防ぐ暇など無かったため音がしなかったのである。
先日も他流経験者の門弟を壁際まで追い込んで声も出す暇もあたえず失神させていた。
また口癖で「おいたわしや」といってから打つのも風貌と相まって正に魔剣の呼び名がふさわしくもなっていた。
そんな荒い稽古を続けるため人気は無くひたすら剣の道に邁進しているかのようであったし、また本当に自分の為にしか剣を振るわなかったため弟子も育たなかった。
しかし、白井だけは時々話をしていた、恐らく高柳は他の稽古相手が弱すぎるので多少強くなってくれ、位は思っていたのかもしれない。
「最近の剣術家は馬鹿ばっかりだな、初学のくせに型の完成をまたずして竹刀稽古だ連続技だと傍らいたし、かといって寺田さんもよくわからん、型ばかりだし、あげく禅寺の伝書を引っ張り出して坊主にでもなるおつもりか?」
白井も型の完成を待たず竹刀稽古にはしるのは反対であった、寺田さんの腕には疑っていなかったのだが反論すると高柳の機嫌が悪くなり明日の稽古が地獄と化すので言うのをやめた。
「浅利又七郎はあやしいな、相当使うくせにいつも参りましたばかり言っている、明日あたり立ち会ってみるか。」
この浅利又七郎という男は高柳と同じく間合いの見切りには定評がある、ただし高柳と違い間合いがやぶれた瞬間「参りました」と言うのである実際うたないので見る人が見れば「勝ちました」と言っているようなものと映る場合も多々ある、また教えて方も懇切丁寧なので人気
もあった、手を出さないので不出剣、菩薩の剣とも噂されていた、密かに白井はわくわくしていた、魔剣高柳又四郎と菩薩剣浅利又七郎、両者の実力は伯仲、中西道場の龍虎であるのは間違いあるまい。
「まあ、見ておれ儂の工夫を見せてやる、どちらの工夫が上か明日ハッキリさせようぞ。」
翌日稽古の最後に二人は一本勝負の地稽古をすることになった。
審判は寺田宗有、門弟が見守る中勝負が始まるも三十分余り動かない‥瞬き一つ許されぬような緊張感の中ユラッと高柳の身体が揺れたように見えた刹那「参った!」と浅利又七郎が叫んだ。
一気に緊張のとけた中西道場では浅利又七郎をねぎらう後輩達で輪が出来ていた。
白井は少しガッカリしていた「いつも通りだったな」面を外した高柳を見ると少し口元が歪んだのが見えた「もしかして笑っていた?」普段
の感情は不機嫌と怒りのみの高柳にとって満面の笑みだったのかもしれない。
「おい小僧見えたか?」突然こう問われ「いつも通りでしたね」と答えたところ不機嫌そうに「馬鹿め」とだけ言われた。
「いつも通り間合いが破れた瞬間参ったでしょう?」
「フゥッ…破れたのか?」と高柳があきれて呟いたのを聞いた白井は「あっ!」と思わず声をあげてしまった「間合いは、破れていない、今回は前と違い1ミリも動いていないのに!?」
「やっと気が付いたかあれが儂の工夫よ、五輪書にも記されているがな、出方には三つある、一つは気と身体の同時に出る、二つは気を残して身体だけ出る、三つは気だけ出して身体は残す」
「では浅利先輩が一歩も動いていないのに参ったと言ってたのは…」
「そう、儂が気だけで出たのにもかかわらず反応して思わず口をついたのよ、並の剣士なら出た瞬間串刺しだ。」
心身一如この言葉にある通り剣技にも同じことが言える、気と剣は一如である、高柳の使った技は言わば心法と実技の中間の様な技である。
「なるほど、身体は限界があるが、気は無限だなあ」(ん!まてよ、とすれば寺田さんの練丹の行は気を練るために必要なんじゃないですか?)と心で思ったが言うのはやめた、明日の稽古が地獄と化すからだ。
どちらも間合いの達人、明暗を分けたのは気の差である、白井も自身の剣に実体の技だけで無く更なる工夫を加えようとしていた。
意識、気の工夫である。
[この高柳の工夫は瞑想である。
瞑想に決まりは無く剣でも音楽でもよい、遣り方にとらわれぬことである岡林将玄談]